【ホークス】生海の経歴。生海の壮絶な大学生活とは?

プロ野球

はじめに。

2022年度のドラフト会議でホークスから3位指名された生海

生海は豪快なスイングで放つホームランが持ち味で、将来の主砲候補として期待されています。

かつて三冠王を獲得した元ホークスの松中信彦を目標としており、
松中選手のようなホームラン王になりたいと話しています。

こんな生海は順風満帆な野球人生を歩んできたのかと思えば、実は壮絶な大学生活を送っており、野球を辞めようと思ったことがあるみたいです。

こんな生海がいったいどんな壮絶な大学生活を送っていたのか、
また、生海の経歴も併せて紹介します。


生海の経歴。

名前生海(いくみ)
本名:甲斐生海(かいいくみ)
出身地福岡県北九州市
生年月日2000年7月11日
身長184cm
体重95kg
投打右投左打
ポジション外野手、一塁手
高校九州国際大学付属高等学校
大学東北福祉大学
選手経歴福岡ソフトバンクホークス(2023年~)


生海の小学校時代。

福岡県北九州市出身の生海は幼少期からホークスファンで、良くホークスの試合を観に行っていたそうです。


生海は北九州市立足原小学校に通っており、3年生のときに野球を始めました。

初出場した試合の第1打席の初球をレフトにヒットを放っています。

生海は早くも才能が開花していたんですね。

小学校時代の生海の憧れは、高校時代に強豪校で野球をしていた父親でした。

野球を始めた当初は右打ちだった生海が左打に転向したのは、父親が左打だったことがきっかけです。


生海の中学校時代。

生海は北九州市立霧丘中学校に通っており、軟式野球部に所属していました。

プロに行くような選手は、中学時代に硬式で野球をしているイメージでしたが、意外にも軟式出身だったのですね。


生海の高校時代。

北九州市の強豪高である九州国際大学付属高等学校に進学し、1年の夏に同校は甲子園に出場しましたが、生海はケガのため出場できませんでした。

2年の春に4番を任され、高校通算36本塁打放っています。

生海が上級生となる新チームではキャプテンを務めますが、3年の夏は2回戦で敗退し高校3年間での甲子園出場は叶いませんでした。

高校卒業後は、東北福祉大学に進学します。


生海の壮絶な大学生活とは?

東北福祉大学に進学後、1年からベンチ入りし大きな期待をされていましたが、生海は度重なる悲劇に見舞われることになります。

そんな生海は、大学ではどんな生活を送っていたのでしょうか。


相次ぐ家族との死別。

東北福祉大学に進学直後の2019年6月に祖父、翌年の2020年3月に父と曽祖母を相次いで亡くしています。

相次ぐ家族との死別にショックを受けていた生海は、2年になると練習を休むことが増えました。

生海は精神的につらくなり、周囲からの励ましの言葉がありましたが、それすらも苦痛で、野球部のマネージャーに毎日のように退部届が欲しいと頼み込んでいます。

1年からベンチ入りし大きな期待をされていた生海でしたが、2、3年にはベンチからも外され、寮の自室に1日中引き籠ることもありました。

大学1、2年とは言え、まだまだ未成年です。

ここまで相次いで家族を亡くしてしまうと、誰でもショックを受け、立ち直るのに時間が掛かりますよね。


生海は壮絶な大学生活をどうやって乗り越えたのか?

壮絶な大学生活を送っていた生海はどうやって乗り越えたのでしょうか。

3年の2021年度ドラフト会議をぼんやりと見ていた生海は、あと1年だけ頑張る。それで駄目なら本当に野球をやめると決心をしました。

2年間ほぼ練習をしていなかった生海の体は70kgまで落ちていましたが、食事トレを始め約20kgの増量に成功しています。

生海は何とかショックから立ち直り、必死に練習に取り組みました。

その成果もあり、4年の秋季リーグで3本塁打、16打点と2冠に輝き、一塁手のベストナインを獲得しています。

何という驚異的な急成長でしょうか。

生海は想像を絶する努力をしたのか、見事に壮絶な大学生活を乗り越えることができました。


さいごに。

いかがだったでしょうか。

今回は、生海がどんな壮絶な大学生活を送っていたのか、
また、生海の経歴を紹介させていただきました。

生海は相次いで家族を亡くしており、想像を絶する壮絶な大学時代を送っていたことが分かりました。

この悲しみから乗り越えることができたのは、生海の努力の賜物です。

憧れだったプロ野球選手になり、天国の家族は喜んでいるのではないでしょうか。

将来の主砲候補として、今後の生海に注目していきたいですね。

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